Starlight Tips

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デレステのイベント攻略、仕様検証など。

【アニデレ考察】アニメシンデレラガールズには「正しい人間」が存在しない、という話

 

はじめに

2015年に放送され、アイドルマスターの歴史に新たな1ページを刻んだ「アニメ アイドルマスターシンデレラガールズ」。

隙あらば見返しているのですが、その最中に色々とメモを取ってたら結構な量になってたので、「このアニメって結局何を描きたかったの?」という問いへの一つの回答として記事を書き残すことにしました。

少しインパクトを狙ったタイトルにしてみましたが、もちろん「アニメの登場人物には間違ってる人間しかいない!」という事ではなく、要するにアニデレという作品のテーマの一つに「自分の意志による選択」とか「多様性」といった言葉があるよね、という話です。今回はその事について纏めていきたいと思います。

 

「正しい人間」とは何か

物語における「正しい人間」とは何でしょうか。それは役割として、所謂アドバイザーの立ち位置に居る人物です。物語中の何かしら問題を抱えた登場人物に対して「あなたの置かれている状況は○○だから××してみたらどうだろうか」と問題の核心を突くような言葉を投げかけ、それを契機として登場人物がそのアドバイスに準じた問題解決に向けての行動を起こす、という展開は誰しも一度は見た事があるでしょう。起承転結の転のキーパーソンとなるような人物こそが、ここで言う「正しい人間」です。こういった役割を持つのは主人公の気の置けない友人だったり何かしらの重い過去を背負った老人だったりと、ある程度達観・老成した人物であり、アドバイスを行うと同時にその物語における「正しい事」の指標を示してくれます。基本的に(少なくとも所謂鬱展開とかではない、王道と呼ばれる展開において)そのアドバイスがネガティブな結果をもたらすという事は普通ありません。なぜならそれはポジティブな結果をもたらすための「正しい言葉」であり、ストーリー展開の方向付けを行うある種メタ的な役割を持った言葉であるからです。卑近な例を挙げるならデレステのイベントコミュは比較的この構図が多いように思います。

ここで話をアニデレに戻します。記事タイトルの通り、このアニメの、特に2nd Seasonのシンデレラプロジェクト(CP)関連の話にはそういった「正しい人間」は基本的に出てきません。2nd Seasonでは美城常務の行った改革に否応なく巻き込まれていくアイドル達の、各々異なった葛藤や苦悩が主として描かれていますが、ほぼ全てのシチュエーションにおいてCPのメンバー達は自らの抱える問題に対し「自分自身で」考え、それぞれ着地点としての一つの回答を導き出します。そして、時としてその回答は正しいのか、それとも間違っているのか判然とせず、そもそも成否が存在する問いなのかすら分からないという曖昧さを含んでいます。

本当か?と思った人も居るかもしれませんので、以下ではCPメンバー+αについてそれぞれ個別に見ていきましょう。

 

具体的に見てみよう:本作のテーマ

2nd Seasonにおいて複数展開される物語のそれぞれの構図、すなわち各々の行動原理や人物同士の相関を大まかなストーリー上のまとまりごとに纏めました。前の項で「ほぼ」と書いてある通り、上述の主張の例外は多少存在します。

気付いたら2nd Season総振り返りみたいになってたので、長えよ!と思った方はこの項最後の2つのテーマのとこだけ読んでもらえれば……。

 

17話~19話

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「ありがとうみりあ。みりあもすっかり、頼もしいお姉ちゃんね」

「……うん!」

 

「だってアタシはアタシだし、隠れたオシャレも忘れませーん!」

(17話より引用)

 

みりあは最も身近な存在であるはずの家族に振り向いてもらえない事に対するもどかしさ、美嘉と莉嘉は会社や番組側に求められる方向性と自らの持つアイドル像との乖離というそれぞれの苦悩を抱えたまま仕事に取り組む姿が描かれていました。注意すべきなのは、この話の終盤にある公園でのみりあと美嘉のやり取りはあくまで「痛みの共有」だけに留まっており、美嘉がみりあ(又はみりあが美嘉に)にその「痛み」を除く方法をアドバイスする、などといった構図ではないという事です。これは前述の「正しい人間」、すなわちアドバイザーがここには存在しておらず、みりあと美嘉はあくまで対等な存在として扱われているからで、自らの抱える問題には自分自身で向き合わなければならないというこの作品の根底にあるテーマが明確に表れていると言えます。そして最終的に、みりあは触れ合う時間が減りつつある中でも母がちゃんと自分の事を見てくれている事を実感を持って認識し、また莉嘉は杏ときらりの禅問答じみた会話から着想を得て自分なりの答えを導き出し、さらにそんな莉嘉の姿を見た美嘉はジレンマの中、私色ギフトの歌詞を拝借するなら「ほんのちょびっと自由になって」、”ギャル-大人っぽさ”という対立する概念を止揚させることで自身の新たなアイドル像を確立します。この三人の出した結論に共通しているのは、上手くいかない、思い通りにならない事と正面から向き合い、しかしながらその中であっても「自分が大切にしたいもの」や「自分らしさ」を少しずつ確かめたり見せていったりしよう、という事でしょうか。私色ギフトの歌詞が染みる……。

 

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「うへえ。毎週収録があるなんて面倒くさそ~」

「ふふっ、杏ちゃんらしいね」

 

「お互いどう動いて良いか分からなくて……」

「そのうち慣れるよ」

(17話、22話より引用)
 

次に杏に関して。この子はアニメ序盤と終盤でまるで別人の如き活躍を見せていたように思います。ギャグテイストで描かれているからそこまで気になりませんが、振り返ると序盤の杏は仕事を放棄してプロジェクトルームに籠城したり、ストライキを起こしたりするトラブルメーカーとしての役割が強かったですね。それが話が進むにつれ、画像のように自身の働きたくないネタで場を沸かしたり(17話)、初めてのライブで勝手が分からず不安を露にするクローネ組に対し「そのうち慣れるよ」と悠々たる態度で安心感を与えたり(22話)と、周りの状況を非常によく見ている「空気を読む」子になったなあと。ではそのような杏の変化は何を切っ掛けに起こったかと考えると、やはりキャンディアイランドというユニットの結成が大きかったように思います。かな子も智絵里も与えられた仕事を何でもそつなくこなすタイプという訳では無いですから、二人の不慣れな部分は自分が率先してフォローしていかなければならない、と杏は考えたのでしょう。すなわち彼女に関しては、キャンディアイランドというユニットの軸としての役割を通して、その周囲を見渡す才覚が花開いたと言えます。この三人を組ませたプロデューサーの慧眼が凄まじい。

しかし視野が広がり、周囲の状況や他人の感情にまで気を配るようになったからこそ、杏の中でとあるわだかまりが芽生え始めます。

 

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「杏と一緒の仕事、ほんとはどう思ってる?」

「杏が呼ばれたのは、杏ときらりが並んだら面白いからだよ。同い年なのにこんなに違うって」

 

「きらりは、杏ちゃんと居るきらりが大好きだよ。杏ちゃんも?」

(18話より引用)

 

自分の身長に少なからずコンプレックスを抱いているきらりに対し、悪く言えば面白可笑しくその事実を際立たせるような自分との仕事は、彼女を傷つける事に繋がるのではないかと、杏はストレートに疑問を投げかけます。きらりはその言葉を否定せずに、しかしたとえそうであったとしても、自分は杏と一緒に居る自分が好きだと答えます。この先の二人での活動で、時に悪意無く傷つけられる場面があろうことを重々承知で、それでも杏との時間を大切にしたいという選択を、彼女は自身の意志で行ったのです。そして杏もまた、そんなきらりの選択を甘んじて受け入れる事を選びます。このような彼女達の選択を一概に「正しい」と言う事は出来ないかもしれません。しかしながら、その事こそがこの作品における「正しさの多面性」という一つのテーマを端的に表していると捉える事が出来ます。

 

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「アイドルは、前を向いてるもんです。カワイイボクのように!」

 

「今回の仕事は挑戦だったと思います。緊張もあったと思うのですが……それでも、笑顔を引き出して欲しかったのです」

(18話より引用)

 

同じ18話ではかな子と智絵里の話も並行して展開されますが、この二人の話に関しては前述の「例外」に当たるとここでは解釈する事にします。なぜなら彼女達の抱える問題は「アイドルとして向くべき方向」という最も根本的な観念の話であり、ある種の「正解」が存在していると言って良い問いであるからです。ですからこの話には「アドバイザー」の役割を持つ存在がおり、画像の通りそれは幸子(KBYD)とプロデューサーなのですが、仕事で失敗しないようにと自分の方ばかりを向いていたかな子と智絵里に、この二人がアイドルとしてのあるべき姿を指し示します。アイドルの存在意義というのはいかなる形であれ他人を楽しませる事ですから、第一に向いているべきなのは自分の方ではなく前、すなわち楽しませる相手が居る方向であるという言葉を受け、かな子と智絵里は改めて仕事に対する姿勢を見つめ直す事になります。二人に向けられたこの言葉に関しては、少なくともアイドルマスターという作品世界においては異論の余地無く「正しい事」であると言って良いでしょう。

ちなみになぜCPの中で二人だけがこのような構図なのかというと、前の項で書いた通りキャンディアイランドというユニットにおける杏の存在が大きすぎるため、アイドルとしての成長や葛藤を描くのならば、かな子と智絵里はまず「杏離れ」をする必要があったからという物語上の必然的な理由でしょう。彼女達は他の子の話で中心となっている「自分の進む道は自分自身の意志で選び取る」というテーマの言わば前段階に居るのだと理解する事が出来ます。

 

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「だりーと話してっと、なんかホッとするな。お前もうちのメンバーに入ればいいのに」

「え……?」

 

「いつも言ってるでしょ、自分がロックだと思ったら、それがロックなんだって。*が私にとってのロックなの」

(19話より引用)

 

次は李衣菜。19話の構成は後に描かれる凛とニュージェネ・トライアドプリムスの関係と対比して考えると面白いですね。夏樹が美城常務の企画したロックアイドルユニットに参加すると知った李衣菜は、そこに自分の求めるロックがあるのではないかと直感的に感じ取り、*(アスタリスク)との間で揺れ動く気持ちがみくとの関係にすれ違いを生んでしまいます。ライブでの失敗の後、李衣菜はみくとの対話の中で*こそが自分にとってのロックなのだと伝え、そのすれ違いの原因が自分にあった事をみくに謝罪します。すなわち彼女の決断は、自分の目指すロックはどこか別の場所ではなく、みくと共に歩む中にあるのだと、割り切れない迷いを抱えつつも、自らの進む道をそう結論付けたのです。李衣菜のこの選択は、後述する凛の選択とは対照的であると言えるでしょう。自分達が作り上げてきた今までの居場所を大切に守ろうとする李衣菜と、自分の新たな可能性を求めて別の場所へと踏み出す事を決めた凛のそれぞれの選択は、どちらが正しいとか間違っているとかそういった議論の対象にはなり得ず、ただ目の前に提示された選択肢の一方を「自分自身の意志で」選び取ったという事実が重要なのです。

 

20話~(クローネ関連)

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「どんな道であっても、乗り越えた先に、笑顔になれる可能性を感じたなら。前に進んで欲しいと、私は思います」

 

「そんなに悩んでたなら、相談してくれれば良かったのに」

「私も、ずっとミナミに相談したかったです。でも、それだといけない気がしました」

(20話より引用)

 

今まで楓さんには目指す場所が違うと言われたり、菜々さんにはウサミン星に帰られてしまったり、夏樹には自分の企画を蹴られてしまったりと、割とアイドルからの支持率が散々な常務でしたが、ようやく(と言ってはアレですが)その高い手腕がProject:Kroneを通して描かれます。衣装が好きすぎるからデレステに実装してくれないかな……。

この辺りからプロデューサーについて、担当するアイドルをプロジェクトの枠に留まらせておく事がアイドル達の持つ可能性を制限してしまう結果に繋がるのではないかと、彼もまた葛藤を抱える事になります。しかし、レッスン室でのトライアドプリムスとしての凛の姿やアナスタシアの「冒険への憧れ」という思いを前にして、ジレンマの中彼は自らのプロデュース方針を再構築する意思を固めていくのです。

その話は記事の最後に改めて書くとして、ここではアナスタシアについての話を纏めていきましょう。彼女の根底にあるのは先述の通り「冒険への憧れ」であり、これは合宿(12話)で美波が語った「アイドルになる事は冒険だったけど、冒険の先に見えた景色はドキドキするものだった」という言葉や、苦手なはずのホラーの企画に「挑戦するのは楽しいから」と進んで参加する蘭子の姿(20話)に心を動かされた結果として存在するものでしょう。そんな憧れと同時に大きな不安も抱えていたアナスタシアですが、どちらの選択肢を取るかという事を、最も近くに居るはずの美波には最終的な決断を下すまで語る事はありませんでした。その理由を彼女は「今まで一人で何かを決めた事が無かったから、変わるならそこから変わらないといけない」と感じたからであると述べます。意図的かどうかは分かりませんが、思い返してみれば確かにアナスタシアが積極的に自身の意志を表明する場面は今まで描かれておらず、そんなこれまでの自分と真摯に向き合った結果、彼女は自らの進路は自分一人の意志で決めなければならないという考えに至ったのだと読み取れます。

ところでアナスタシアと凛はほぼ同じ状況で同じ決断(既存のユニットがある状態で別のプロジェクトへと参加する)を最終的に下すのですが、ニュージェネが中々に拗れたのと対照的にラブライカは最後まで落ち着いていましたね。美波の懐の深さは流石CP最年長と言ったところでしょうか。そんな美波は21話にて、新しい場所への挑戦を決めたアナスタシアに刺激を受け、かつての自分の冒険であった「アイドルになる事」のさらに先の冒険(ソロデビュー)へと踏み出す決意を固めます。こうして見てみると美波、アナスタシア、蘭子の三人(通称ラブランコ)のお互いがお互いに強く影響し合っている構図が非常に丁寧に描かれているように感じます。合宿での美波の話に感銘を受けた蘭子が13話のライブで美波の代役を自ら買って出る決断をし、それを切っ掛けとして「冒険する事は楽しい」と新しい事への挑戦を続ける蘭子の姿にアナスタシアが憧れを抱き、アナスタシアの前へ踏み出す意志を最も近くで感じ取った美波がそれに触発され更なる可能性へと一歩を踏み出す……この三人の循環的な関係性はそれぞれが互いを尊敬し合ってる感じがとても良いですね。尊い。

追記:20話観た後に「たくさん!」を聴いてくれ

 

ニュージェネ関連

ニュージェネの三人は物語の軸として描かれているので描写の量が圧倒的に多く、それ故に関係性の変化や行動原理などを細部まで読み取ろうとすると、結構な気合が要るように思います。正直以下の内容は記事の趣旨から外れている部分も多いのですが、せっかく総振り返りみたいになっているので三人それぞれについて個別に見ていきましょう(といってもうち2人は別記事)。

 

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「今、あなたは楽しいですか?」

「え……どういう意味? てか、それアンタに何か関係あるの」

「それは分かりません。ただ、あなたは今、夢中になれる何かを、心を動かされる何かを持っているんだろうかと気になったものですから」

「……アンタには関係ない」

(1話より引用)

 

「渋谷さんは楽しんでいますか?」

「楽しくなる途中かな」

(14話より引用)

 

「今、楽しいから」

(25話より引用)

 

凛については第1話から最終話まで筋道立ててその成長が描かれています。夢中になれる何か、心を動かされる何かとは縁遠い日常を送っていた彼女は卯月の笑顔を切っ掛けにアイドルという未知の世界に飛び込み、そこでニュージェネというアイドルとしての自分の居場所を見つけ出します。この時の事を凛は「楽しくなる途中」と表現していますが(14話)、その後彼女はトライアドプリムスという新たな挑戦の場への一歩を踏み出し、そして最終話では「今、楽しいから」と心からの笑顔を見せ、凛の一つの物語は幕を閉じます。彼女にとってトライアドプリムスが「挑戦の場所・楽しいと思える事が存在する場」なのだとしたら、ニュージェネは「自分が帰る場所・楽しいと思える事を探せる場」であり、どちらも凛にとっては必要不可欠な存在なのであると言えるでしょう。自分にとって大切だと思える居場所を二つも見つけられる程成長を遂げた、そんな彼女の立場が物語の上でどのような役割を担っているかという事については、記事の最後に改めて記すことにします。

卯月の話に関しては、基本的に前回の記事

に詳しく纏めてありますので、その顛末を述べる事に関してはここでは省略します。葛藤を抱える卯月に対するプロデューサーの「どちらを選ぶかは、島村さんが決めてください」という言葉(24話)に端的に表れている通り、この話における彼の立ち位置は上述の「アドバイザー」ではなく、道の選択肢を卯月に示し、彼女の決断をただ横で見守る存在という構図として描かれています。そして前回の記事の最後でも書いたように、卯月は「信じたい」という自らの強い意志を第一に持って、その一歩を踏み出す事を決断したのです。

そして最後に未央。未央に関しては語りたい事が山ほどあるので

これも別記事に。未央は2nd Seasonにおいて、アイドルとしての成長というよりはユニット―ダーとして、人間としての成長が主として描かれていたように思います。一部記事の趣旨に沿う部分もあるのでご一読いただければ。

 

CP以外+みく/まとめ

せっかく総振り返りみたいになってるので(二度目)CP以外の面々についても見ていきましょう。②で述べた主張はCPメンバーに対してのものなのでこれは(後述のみくの話以外)完全に余談ですね。

 

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「私は、ファンの人と一緒に階段を上りたいんです」

 

「それが私のやり方です。貴女とは目指すところが違う」

(15話より引用)
 

まずは楓さんです。15話において、この人は自らの決断に一切の迷いを感じさせず、自分が正しいと信じる道を選び取りました。それが出来るだけの確固たる信念、または立場や実力を持っているという点において、楓さんはCPの面々とは一線を画す存在として描かれていると言えるでしょう。逆に考えるとCPメンバーが11歳~19歳というまだまだ精神的な未熟さを多分に残した年頃の少女の集まりであるというのは、物語の構成上大きな意味を持っていると捉える事が出来ます。

 

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「ウサミン星より受信! ウサミンコールにより、メルヘンチェンジを妨害していた不確定因子が排除された模様。ウサミンに施された封印を解除します!」

 

「みくは自分を曲げないよ!」

(16話より引用)
 

次に菜々さんに関して、16話は展開としては比較的王道に描かれていたなという印象を受けました。自分のキャラを貫き通す事を諦めかけている菜々さんに対して、そんな彼女へのアドバイザー(というよりは背中を押す役と言った方が正しいかもしれませんが)の役割をこの話ではみくが担っています。しかしそんなみくも裏では猫キャラが会社の新たな方針に合致していない事への不安を抱えており、すなわちこの話数は、表では菜々さんがみくの応援を受けてキャラを貫き通す勇気を取り戻すという王道展開、裏ではみくが自分を曲げずにいられるかどうかという事への葛藤が描かれる二重の構成になっています。

その中でみくは、ユニットの相方である李衣菜が「みくが笑顔になれる方法を、みく自身に選んで欲しい」と考えていることを知り、その信頼に応えるようにして自らの信じる道を征く決意を固めます。この辺りのプロデューサーの立ち回り方も中々絶妙で、最終的な決断に関してはみくに任せようとしている姿勢が見て取れますね。

 

以上でCP全員の話に触れる事が出来たので振り返りは終わりです。長いので要約すると、CPメンバーに共通しているテーマは大きく2つあり

  • 絶対的に正しい選択肢というものは存在しない
  • 自分が進む道の選択は、自分自身の意志によって行わなくてはならない

と纏められます。前者は李衣菜の所で述べた凛との対比の例に、後者は特に卯月の例によく表れていると言えるでしょう。これら2つは無関係ではなく、選択の正しさというものは不確実な概念であるという前者のテーマが先にあり、それ故に自分を確実に正しい道に導いてくれる人物というのは存在し得ないのだから、自らの進む道は自らで決めなければならないという後者のテーマに繋がっています。

  

全体を通して:この作品の持つ価値

以下の会話は最終話におけるプロデューサーと常務のやり取りです。

 

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©BNEI/PROJECT CINDEREELLA

「城を目指す少女は、何かを願う者です。思いの形はそれぞれに違う。その全てが星の様に大切な輝きだと、私は思います」

「星……。君はその星全てを見出せるというのか?」

「いいえ。私に見えて常務に見えない事もあれば、その逆もあります。渋谷さんとアナスタシアさんの別の可能性を常務が示されたように、部署という枠に囚われていた私には思いもよらなかった可能性です。触発された他のメンバー達も、それぞれの可能性を広げ、輝きを増しています。そして、それも無限にある彼女達の可能性の一つに過ぎないのではないかと」

「私の理想も、その一つに過ぎないというのか?」

「……一番大切なのは、彼女達が笑顔であるかどうか。それが、私のプロデュースです」

「君とは嚙み合わないな。私は城を、君は灰かぶりの夢を第一と考えている。我々は平行線のままだ」

 

「彼女達は、我々の平行線すらも超えていくのか?」

「はい」

(25話より引用)

 

この物語において、凛は上のプロデューサーの言葉をまさしく体現した存在として描かれており(勿論アナスタシアもですが、描写の量的に凛の方がより大きくその役割を担っていると言えるでしょう)、多くの紆余曲折を経て自らの持つ様々な可能性を見つけ出した凛の姿を通して、プロデュースの仕方によって彼女達アイドルはいかなる形の輝きにも到達し得るのだという、作品の背景に存在する一つの主張が浮かび上がってきます。

「アイマスと言えばパラレルワールド」という言葉がある(?)ほど、アイドル達が登場する各メディア(ゲーム、アニメ、ドラマCD、二次創作など)によって彼女達のアイドル像や関係性は多種多様に異なります。これを可能にしているのは、各アイドルのキャラ付けがその最上流においては「断片的な情報の集まり」として成されている所にあるのでしょう。まずキャラクターの容姿や性格、交友関係などが複数の「点」として存在し、その点の繋ぎ方によって様々なストーリー性やアイドル間の関係性を容易に紡ぎ出す事が出来るが故に、アイマスというコンテンツの中ではありとあらゆる可能性が実現されるパラレルワールドという多様性が成立し得るのではないかと。話をアニデレに戻すと、そんな数多くの可能性が存在する中でプロデューサーが辿り着いた「いかなるプロデュースにおいても、アイドル達が笑顔でいられるかどうかが最も大切な事である」という結論は、多くのアイドルの葛藤と選択、そしてその結末を間近で見届けて来た彼だからこそ導き出す事が出来たものであり、きっとリアルPの多くにとっても理解されうる価値観かなと思います。

そして対話の最後に、対立するプロデュース方針、常務の言う「平行線」をも彼女達は超えていくのだという事が語られます。二つの異なる場所でそれぞれの「楽しさ」を見つけ出した凛、一見対立するように思える二つの概念から新たなアイドル像を作り上げた美嘉などの例がこの事を端的に表していると考えられ、交わらないはずの方向性を時に共存させ、時に纏め上げ、そうしてプロデュースする側ですら思いもよらないような価値を彼女達は自らの手で産み出していく……その可能性の広がりこそが、シンデレラガールズの持つ唯一無二の魅力なのでしょう。

最後に、プロデューサーが言うには「一つの可能性」でしかないと取ることも出来るこのアニメ作品は、シンデレラガールズというコンテンツの中で果たしてどのような価値を持っていると言えるのでしょうか。それは前述のCPメンバーに共通して描かれていたテーマを思い返せば自然と理解され得るのではないかと思います。すなわち、上ではアイドル達は突き詰めれば断片的な情報という点と点の集合であると述べましたが、それはその存在が単なる記号の寄せ集めに過ぎないという事を意味するのではなく、「彼女達は大前提として自ら考え自ら進む道を選択する事の出来る、一人の意志を持った人間なのである」という事をこの作品は描きたかったのではないかと、私個人としては考えます。

 

 

長々と述べてきましたが書きたい事は書けたので終了。

そんな感じで、この作品、見返すたびに新しい発見がある非常に奥深くまで作り込まれた作品だと思うので、数年経ってまた新たな展開が広がってきた今だからこそ、是非このアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」を再度視聴してみてはいかがでしょうか。